1 付箋紙の記憶 



~時は2965年。
若き王様が夜中に部屋を飛び出して、”妖精”と夜な夜な他愛もないお話しを。
そんなおはなし。



…雨季に入る少し前、闇夜を半月が、首都ヤース郊外にあるコーラス城を白く淡く照らしていた。
とはいうものの、今日の二人には、そんなロマンチシズムや感傷に浸れそうもない。
ここはコーラス城の地下にある、第2機械室。
夜の2時なのでその力は昼間よりは使われていないと思われるけれども、それでもそこかしこから、モーター音や計器音が互いの耳の半分を占めていた。
当然、窓もあるわけではない。

まだちゃんとした仕事についたばかり、という年頃の若い男性は、クリーム色のゆったりとしたラインの麻のチュニックに、やはり麻のパンツ姿で機械室の柵にもたれかかっていた。
彼の隣にいるのは、もっと年下の、16歳位の華奢な少女に見える。
彼女は恐らく制服を着ているようだが、側頭部にはドロップカットを施された手の平大の宝石を抱き、瞳もまた宝石と同じアメジスト色をしていた。、
それは彼女達の真実をぼかすようにアイレンズで覆われたもので、そのスペクトルが、彼女の表情をぼんやりと隠していた。

彼の名前はコーラス3世。
職業は…2年前にジュノー星屈指の大国、コーラス王朝の23代当主になったばかりだ。
彼にはもともと名前がないので、コーラスとか、即位の数字から20を取ってサードで呼ばれるのが通称だ。

「…何とかこなしているけどね。」
最近、少し忙しすぎるのではないのですか?との少女の質問に、コーラスはこう切り出した。
「人は毎日、少しでも意味のあるものにしたいと努力していくけど、一方で平穏を求めたり、何も変わらないことを望んだりもする。両方あるのが、人にとっては望ましいんだよ。」
「でも僕たちの日常は変わってしまった・・・。勿論、変化には対応しなくてはいけないけど、ちょっと変わりすぎだよね。」
「だから、こんな時間で悪いけど、君と話をしているのかも知れない。」
「厳しくても構わないから、以前のような落ち着きが欲しいんだよ。成長しなくてはいけないと、分かってはいるのだけど」

コーラスはまくし立てるように一息で少女に語ると、ふうっ、と少しため息にも似た呼吸をした。
少女はそんな彼を微動だにせず、曇った瞳で見つめていた。


アメジスト色をした瞳の少女は、右人差し指を唇に当て、幾らか考え込んでから、言葉を紡ぎだすようにゆっくりとコーラスに話しかけた。
「修行時代とは違い過ぎますものね。…人々にお会いしたり、接する機会も比べ物にならない位多いですし。…それに、」
「13億の民が常に僕たちを見ている、だろ?」
コーラスは先回りして少女に答えた。既に何度も彼女に言われているのかも知れない。
あまり嬉しくはない反応ではあるが、常にそれを意識をし、行動をしなくてはならないのも事実として存在していた。
─この少女は、まだまだ頼りない自分の事をいつも考えてくれている。
いつもそう思うし感謝もしているのだけど、正論過ぎて少々面食らう事も、よくある。
「ウリクル、どうして単に話をするだけなのに、この時間で、人目を避けなければならないのだろう?やはり国民が見ているから?」
…ウリクルという名前の少女は、コーラスのむきになった質問に特に驚きもせず、むしろ彼を諭すように真っ直ぐに語りかけた。
「…夜中に話をしなければならないのは、私達が忙し過ぎるからです。けど、夜中に男女が2人だけで外にいたら、それこそ誰にでも怪しまれるじゃないですか、マスター…」

ウリクルという少女は、コーラスの何なのか。
彼女は一言で表せば「人工生命体の兵器」であった。
モーターヘッドと呼ばれる人型のロボット兵器に、搭乗するコーラスと共に乗り込み、彼のサポートを引き受ける。
彼女はコーラスの事を「マスター」と呼び、彼の為だけに仕える。
ウリクルは黒髪を切り揃え、儚げな大きな瞳を持つ美しい少女だが、彼女のように頭に宝石をつけ瞳を隠している少女達は、この世界には他にも大勢いる。
このような人工生命達の事を世の人々は「ファティマ」と呼び、コーラスのようにモーターヘッドに乗り込み戦う闘士の事は「騎士(ヘッドライナー)」と呼ばれた。
そして騎士もファティマもその特殊な能力ゆえに、星々の膨大な人口に比べその存在は極々少なく、彼らの受ける大いなる名誉以上の制約も、また数多く存在した。

そしてファティマ達には、ダムゲート・コントロールという、一種の行動制御を施されていた。
騎士との契約、彼らの保護がなければ、ファティマはその日を生きる事すら、難しい。
そんな過酷な環境にある、彼女達が持つ唯一の権利は、マスターとしたい騎士たる一人の人物を、自分で選ぶ事だけ。

ウリクルは、彼女が人型兵器として成人した直後、偶然の出来事でまだ留学中の学生だったコーラスと出会い、彼をマスターにと、仕え付いていく事を自ら望んだのだ。
彼女はその後のコーラスの騎士修行にも同行し、既に8年の歳月が経過していた。
コーラスにとって、騎士としてのサポート役だけではなく、あらゆる方面で優れた能力を発揮するウリクルが、自分には既になくてはならないパートナーである事に、間違いはなかった。


だが、コーラス本人もただの騎士ではなく、いまや大国の頂点に立つ以上、多忙を極めるのは仕方のない事だと半分諦めてはいるが、ウリクルに迄その影響が及んでいるのは、とても申し訳ない事だと感じていた。
ファティマは戦争の為の道具、だと割り切る向きも多い中、この国には比較的リベラルな空気が漂っており、通常時でも城では多くのファティマたちが、騎士や他の職員、研究者達などと一緒に働いている。
しかも「国王のファティマ」であるウリクルはその能力の高さとも相まって、他から敬意を示され、また多方面から彼女の能力を生かしたいというオファーが殺到していた。
この為彼女には、本来の通常業務であるモーターヘッドの整備、管理という役目の他にも手さえ空いていればそれこそ草刈りから書類の翻訳、作物の種の研究まで、誰かに呼ばれれば、すぐさま笑顔で仕事に出かけて行くような生活をしていた。
「私は大丈夫ですよ。数日は夜更かししても全く問題ありませんから」
「面白い事も沢山ありますよ。この間は小さな男の子からお姉ちゃんの顔!と似顔絵を頂きました。」
「御礼にカードでも送っても差し支えないでしょうか、マスター。」

君は大丈夫なのかい?と尋ねたコーラスに、澱みのない調子でウリクルは答えるのだった。
もしかするとどこか別の場所ではファティマである事の、誹謗中傷でも受けていないかと心配になるけれど、その屈託のない笑顔が、コーラスには眩しく思えた。
ファティマには沢山の制限がかけられているなんて、嘘なのではないかと思える程に。
ウリクルと出会ったときからずっとそうだった。
君は歳を取らない。

「マスター、そろそろお時間が…」
作られた生命体であるウリクルは自分の体内に、狂い様のない時計を内蔵している。
「何だか今日は辛気臭い話題になっちゃったね。でも君が元気そうで良かったよ。僕も多少チカラが出たかな。でも次は外が良いね。ここ五月蝿くて…」
コーラスは両耳を塞ぐようなコミカルな身振りをして、ウリクルにお願いをするのだった。
「じゃ、行くね。ウリクル、お休み。」
コーラスはウリクルに微笑み返すと、手を振って機械室の出口へ向かって歩いていった。
「お休みなさい。マスター。」ウリクルも右手を左右に揺らして、彼がこの喧騒から去るまで見送った。


コーラスと別れてからファティマ専用の宿舎に一人戻ったウリクルは、真っ暗な部屋にデスク上のランタンだけつけて、引き出しを開けた。
そしてポケットから、一枚の薄緑色の付箋紙を取り出した。

その、お札を半分に切った位の小さな用紙には「45-1」とだけ書かれていた。
ウリクルはそれを同じ色の付箋紙の束に押さえつけた。
注意深く見ればこの付箋束にも、他にも何か数字が書かれているのが見えたかも知れない。
「今日のマスター、何かあったのかしら、表情も硬かったし…」
誰もいない部屋に、ウリクルのか細い声が響いた。
ウリクルは今晩のコーラスの、愚痴をこぼすような態度の原因がどこにあるのか、あれこれ思案をめぐらせたけれども、これといって決定的になるような理由は見出せなかった。
気がかりではあったのだが、自分のこともあれこれ聞かれてしまったし、たわいもないおしゃべりをしているうちに、ウリクルから尋ねる時間がなくなってしまったのだった。
それで元気が出たと彼が言ってくれたから、そうなったと信じたいのだが…。

真夜中の会話は、ウリクルが心配していたように、2人が一体何をしているのか、他の誰にも怪しまれないように、注意深く行われていた。
「短く、場所を変えて、緊急でなければ日を空けて」
その上で、盗聴や検閲といったリスクを避ける為、2人が取った原始的だけど確実な連絡方法が、先ほどウリクルが取り出した「付箋紙」だった。

ウリクルが良く仕事をしているモーターヘッド・ハンガー(格納庫)の2番制御卓の座席下か、彼女の住む宿舎のポスト(ファティマには手紙など滅多に来ないが、ウリクルは特別だった)にコーラスが付箋紙を貼るか入れるかして、いつ、どこで会うかが分かるように、暗号として数字を交わすことになっていた。
先ほどの45-1という数字は、それが「明日、第2機械室で」という意味を表すものだったのだ。
もし万が一メモが剥がれたり誰かに見られてしまっても、数字だけなら分からない。
コーラス城内にある”誰にも発見されにくい地点”をウリクルは55箇所調べ上げ、コーラスに報告したが、外で話すのを好む彼は、更に、と外回りのポイントも追加させられ、結局今は65箇所がお互いが話せそうな場所、として指定されていた。
勿論この数字がどこを指すのか、リスト作成者であるウリクルは全て把握しているが、彼女はこの付箋紙の束を見るだけで、いつ、二人でどんな話をしたのか、全て覚えていたのだった。


他の誰もが見れば、意味の分からない数字の羅列も、ウリクルにとってはかけがえのない宝物だった。
例えば付箋紙を何枚かめくると出てくるだろう「64-15」は、今年、新年を迎えてから10日後の夜のことだった。

普段は人目を避けようとする事ばかりの二人が、珍しく忍者のように城を飛び出した。
そして高台にある、日中は森林公園としても開放されている、広大だが人の手入れの入った庭に潜り込み、森の木々を飛び越え、更に一番高い所にある巨大な雨ふらしの木の頂上に、二人は場所を確保した。
辺りを見渡せば、遠くには巨大だが今は寝静まった首都ヤースの佇まいと、少しだけ近くなった星々。そしてピラミッド型をした、離れた森の中でも一際目立つ存在のコーラス城。
その白亜の雄姿がライトアップされ、ボウッと柔らかく照らしているのが二人には良く見えた。
「新年おめでとう、ウリクル。遅くなったけど」
湿気のない、心地よいそよ風の流れに、肩まである栗色の髪を少し邪魔そうにかき上げながら、コーラスは脱出が成功した安堵感も含んだ笑顔を見せた。
「1日に城中の新春挨拶があったではないですか。」
「あれは公式行事だし、単に言わされているだけじゃないか。今年も年末からずっと、忙しかったしね。」
「”陛下”の事をテレビや新聞でしか見られない日が何日もありましたよ。殆ど全国を回っていましたものね。マスター。」

ようやく2人だけで会えそうだ、今夜は城の外にしようよ。
いつもよりややリスキーな選択ではあったけれど、コーラスの意見に今回は同意して良かった、とウリクルは心から思った。
新年の賑わいはすっかり影を潜めたけど、この静寂と開放感が、二人にはとても心地良かった。

「ウリクルも新年忙しかったんじゃないの?」
「私は準備とか、後片付けとか、そんな事ばかりでしたから。」
「…マスター、また少しお痩せになられたのではないですか?」
ウリクルはただでさえ痩身のコーラスが、若干目の下に疲れを残しているのが気がかりだった。
「立て続けに祝事だったからさ、仕方ないけどずっと行事食ばかりで胃が重くて。朝御飯とか食べられなかったよ。今日からやっと普通の食事。普段通りがいいよ。」
二人はそのまま年末年始に起こった煌びやかでおかしな出来事の数々を、時には笑い声も上げてとめどなく話を続けた。

「…ねぇウリクル、ここで新年の歌でも唄ってくれる?」
コーラスの突拍子もないお願いは、普段は努めて冷静沈着なウリクルを慌てさせた。
「え?何故私が??またどうしてここで…」
「いつだったかオペラ歌手の歌真似をしてくれた事があったじゃないか。あれなかなか良かったよ。また君の歌を聴いてみたくて。」
「もう10日ですよ。」
「いいよ、君が歌うなら。聴いたら帰るから。」
ここから帰るのが条件になってしまうのなら、ウリクルは歌わざろうを得ない。でも自分の声をマスターの前とはいえ、さらけ出すのは…。
そうだ。
ウリクルはある提案をコーラスに持ちかけた。
「マスターも何か唄ってくださいよ。私聴いてみたいです。」

…あの時マスターは子守唄をうたってくれたんだっけ。
観客はウリクルとコーラスの二人だけ。
それは日常の疲れを上書きしてくれる、貴重な記憶だった。


付箋には、数字以外は書かないように、という二人の決まりごとにも関わらず、他のことが書かれたメモも2枚だけ存在した。

1枚は、何故か猫の絵が描いてあった。
絵なんて真面目に描いたことがない、と話すコーラスが悪戯でペンを走らせたらしい。
線はガタガタだったが、一目でこれが猫だとすぐ分かる、愛嬌のある顔が描かれていた。
「城のテラスに白猫が迷い込んでいたらしいよ。一体どこから入ったんだろうね。」
防犯よりもその珍事が、そして何より、何故彼が猫を描いてみようという気になったのか。理由は良く分からないけれど、ウリクルにとっては可愛い”ねこちゃん”だった。

そしてもう一枚は、3日前に会う約束をし、その当日になってからポストに入れられていたものだった。
ウリクルは門番の騎士に真夜中に外出するのを怪しまれないよう、コーラスに会うその夜は極力自室に戻らずに、何らかの仕事をして時間をやり過ごすのだけども、この日は思いの外時間がかかってしまい、出発がぎりぎりになってしまった。
ウリクルは慌ててマスターの待つ、非常階段の最上部へ出かけたが、幾ら待っても彼は来ない。
そのまま夜が終わり辺りが赤く染まってくるまで、彼女は黙ってじっと待っていた。
結局コーラスへの心配は募るものの、会えず諦めて帰ってきたウリクルが宿舎のポストを開けると、はらりと一枚の紙が落ちた。あの薄緑の付箋紙だった。
その一枚は数字ではなく、メモの四辺に添って、一体どうやって書いたのか、と思えるほど小さな小さな文字で
”公務変更で明日の出立が早くなった。今日はすまないが中止に。また連絡する。ごめん。”と書かれていたのだった。

マスターがこれは取り決めと違う、と私を怒らせないように、気遣って小さく小さく書いてくれたのだろうか。
コーラスはこの場にいなかったけれども、彼の温かい気持ちが、ウリクルの身に染みた。

この2枚は引き出しにある付箋の束とは別に、自分の部屋にある姿見に貼って、いつでも眺められるようにしてある。
あとどの位この付箋紙は、わたしの記憶に降り積もるだろうか。
そして、いつまでも続いて欲しかった。